自分の身体にそっと触れて『いつもありがとう』を伝えてみよう。
触れる・触れられるという無言の愛に満ちたコミュニケーション。
大なり小なり個人差はあるけれど生きているということは、
様々な動きがものすごい緻密で美しいからくりで身体の中にあり、秩序が保たれていて
止まる事なく動いているからだということを知れば知るほど、
今こうしてる間にも眼には決してみえないけれどある果てしない命の秩序は、
ヒトという哺乳類への最大の愛なのかもしれないとクラクラするのはわたしだけでしょうか。
知識などは後からでいいから、
いつもと変わりない日常をチョット違う角度から眺めてみるのに身体の声を聴くことはとてもオススメ。健康というバランスをとりずらいときの手助けになる。
自分の頰に触れるというシンプルな動きに注目してみる。
その「手当て」という行為には精神や心にまで伝わるあたたかさや祈りやいたわりの気持ちを
そっと載せることもできる。ただ暖かくて気持ち良いだけでも安心感に変わる。
緊張感とリラックス、一人でいる時間、誰かと一緒にいる時間も、どちらも大事。
生きていく時間が長くなればなるほど、息をあわせることや気づくことが
思いやりやいたわりの種になっていくと思う気がしてきたこの頃。
オトナになればなるほどそこのバランスをとるのが難しいから
したくないけどしなきゃいけないことに振りまわされたり
あちこち身体が緊張したり、ねじれたりしながら
コリになるのだろうか?
子どものうちは
愛そのもののエネルギーでいっぱいで、じっとなんてしていられない笑
いつだって気にしてほしい!のサインを出してるからかな。
そして気になったらさっさと動けるからかな。今日は今日で明日は明日だからかな。。。
ぐうぐう寝てる小さな身体を眺めた後
洗い物や洗濯物の山を片付けながら
虫の声が聞こえる幸せを感じつつ
暑くもなく寒くもない幸せを感じながら
雲の向こうにある大きな月を思いながら
こういう五感優勢な状態に身体と心を置くことが
アタマと身体が対話する時間を生み出すことが、
どれだけわたしの健やかさの種と栄養になっているのかを感じてきました。
自分が無理せす相手のリズムにあわせられることは、人間関係を築くコツでもあるような。
身体、子どもや誰かに対しても反射ではなくて対話できる構えや、振る舞いは、
明日のみんなの健やかさに繋がっていくと思います。
たまには、自分の身体にそっと触れて『いつもありがとう』を伝えてみませんか?